- 2005年10月11日 14:16
- ロハス
ロハスを説明するときに、よくエゴとエコという単語が出てきます。
いわく、「エゴなエコ」「エゴからエコへ」「エゴとエコの両立」などなど。
はてはて。さっぱり意味がわかりませんね。笑
エゴなエコ → ペットボトルは買うけどリサイクルしてるからいいんだ!的な発想でしょうか。
エゴからエコへ → 人間何が一番かわいいかって結局自分ですよ。エゴからエコは難しいと思います。
エゴとエコの両立 → 坂本龍一さんが主張する、個人主義を超えた超個人主義ならエゴ=エコとなります。
おれはおいしい空気が吸いたいんだ、体にいいもんだけ食いたいんだ、だからお前らも手伝え。みたいな笑
「"地球のため"に環境に優しい生活にしましょう」と謳ってる輩よりは、"自分のため"のほうがよっぽど健全、
っていうかめちゃくちゃ共感できます。
しかし、ここで問題が発生します。
エゴ=エコなら、自分のやりたいことさえやってればいいんだ!となってしまうことです。
もちろんそれは大賛成ですが、ほとんどの人が、坂本教授のような、いわゆる「超エゴ」を持っていないということです。
「超エゴ」を意識できる人なら、自分の好きなこと・気持ちいいことをつきつめて自然体でいさえすれば、エゴ=エコとなるのですが。
そうでない人たちが大半だという事実は問題だと思います。
食で例えると、本物のおいしさをつきつめでいけば自動的に環境に優しい食になります。
しかし、化学調味料の味も分からなくなっている現代人にとっては、ファーストフードやファミレス、得体の知れない輸入物やインスタント食品などで満足してしまう場合が多いのです。
それはそれで幸せなことだとは思いますが、超エゴ=エコとはほど遠い世界ですよね。
そこで、ぼくの考えるロハスとは、エゴとエコのバランスを重視し、あくまで「エゴを優先したエコ」なのです。
これもよくわかりませんね。笑
では、一体どういうことでしょうか。
この日本に暮らす私たちは、電気やガスや、石油やクルマ、お買い物することなしには、もはや生きることもできません。
そんな文明という土台に暮らしている人が、まじめにエコロジーがどうのこうのと主張したところで、元も子もない話です。
私たち文明人が、「エコロジー」「地球のため」という言葉を発するたびに、矛盾をかかえてしまうのです。
そんな矛盾を解消してくれるのがロハスなのです。
「我々の生活は文明という土台の上に成り立っている = 我々の存在自体がエゴのかたまりなのだ」
と気付くことからロハスが始まるのかな、と思います。
「私はそんな文明的な生活が捨てられないエゴイストな人間ですが、環境のため、しいては文明の存続のためになにかできることはないでしょうか」
と問うのがロハス的姿勢なのではないかな。
「エゴを優先したエコ」とはそういうことです。
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