- 2005年6月12日 09:36
- スピリチュアル
脳と幸せ論
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感は、
それぞれの入力を電気信号に変え、
神経を通して脳に伝達する。
信号を受け取った脳がそれを正しく処理してはじめて、
私たちは物を見、音が聞こえ、臭いを感じ、味を区別し、肌の感触を
得るのである。
私たちが感じている五感、私たちがみている世界は、
脳がでっちあげたバーチャルリアリティーなのだ。
そして個人個人が作り上げたバーチャルリアリティーは
みな同じだとは限らない。
2人が同時に同じ赤色をみても、
本当に同じ赤色を感じているかどうかはわからない。
2人が同じバナナを食べても
同じ味を感じるかどうかはわからない。
自分が赤だと思い込んでいる色は、
他人には青に見えているかもしれない。
だけどお互いに「その色は赤だ」という共通認識が
あるに過ぎず、それで世の中成り立っている。
このように、それぞれが感じる世界のことを「クオリア」というらしい。
そういうことを大真面目に研究している人たちがいるのだ。
それぞれが持つクオリアがみんな同じだと証明した人は居ない。
できるはずもない。不可能なのだ。
あなたが感じるおいしいバナナの味は、
他人にとってのうんちの味かもしれない。
話がずれた。
五感が全て電気信号に変えられ、脳に伝わっているとすれば、
脳で処理するとき多少なりともエラーが起こることもあるだろう。
そら耳ってのがよくあるパターンだと思う。
街を歩いていて、知り合いだと思ったけど
よくみたら違ったってのもそうだろう。
それがもうちょっと進むと、
鳥の鳴き声が人の声に聞こえたり、
非常口のマークが走っていたり。
といった幻聴・幻覚になる。
幽霊を見たとかも典型的幻覚。
幻聴・幻覚があれば、幻触・幻嗅・幻味もあるわけで、
五感が全て幻になってくると、現実と非現実の境目が
なくなってしまう。もちろん基本的にはそうならないような
脳になっているわけだけれども、エラーってのはある。
エラーじゃなくても、ぼくたちは毎日、
幻聴・幻覚・幻触・幻嗅・幻味を体験している。
夢だ。
それはまさに脳内バーチャルリアリティー以外のなにものでもない。
なんらかのエラーで脳が覚醒している状態で夢を見てしまった場合、
宇宙人にさらわれた、とか、臨死体験・体外離脱をした、
ということになってしまう。
ここまでくると、現実のような幻覚になる。
現実世界で感じる五感も、幻覚の世界で感じる五感も、
同じ電気信号に過ぎず、脳内では両者は同じことだからだ。
つまり、本人にとっては現実なわけで、
そのような体験談はウソではないのである。
また話がずれた。
何が言いたいのかというと、
それぞれが感じるクオリアの世界は、
過去の経験・知識、見たこと聴いたこと、
日頃の思想・妄想・思考などを元にして、
脳が処理しているのではないかということ。
PTSD(トラウマ)なんかはまさにそうで、
他の人がなんとも思わないものに対して
過敏に反応してしまう。
臨死体験をした人の体験談などをみると、
文化・宗教の違いによって変わってくることがわかる。
人間界に本当にそういう世界が存在するならば、
世界中同じ臨死体験のはずなのに、
日本人だったらお花畑に三途の川だとか、
アメリカだとイエス・キリストだとか、
思想の違いで変わってしまうのだ。
私たちは常に幻覚を見ているといっている脳の研究者もいる。
幻覚というとおおげさに聞こえるかもしれないが、
脳という個々のフィルターを通した、
ある意味偏見の目で世界をみていることは否めない。
身近な例で言うと、
嫌いな人などうがんばってもむかつく顔にみえるし、
好きな人はどう見てもきれい・かっこよくみえる。
いくらブス専でも、本人にとってはハニーなのだ。
みんなそれぞれ、脳内では、見ている世界が違うのだ。
つまり、ハッピーな人生にしたければ
できるだけハッピーなクオリアを感じればいいわけで、
そうなるためにはハッピーな思考・知識・経験などを
できるだけ多く体験し脳に蓄積することではないか、ということ。
さらに、ハッピーな思想・妄想をいだく、ということ。
道端に咲く花に幸せを感じられることが
本当の幸せだとは言わないが、少なくとも、
幸せは、感じたもの勝ちなのだ。

